YELLOW MAGAZINE 2017-2018
やっと。
Yellow Magazine が届いた。
発売日から遅れること1週間。
待ち望んだかいがあった。
星野源に焦らされてるその1週間の間にSAKEROCKのラストライブDVDとTwo Beatにまで手を出してしまったけど。
結果的に星野源の罠にかかってしまったような…
今日初めてYellow Diskを聞いた。
前作のと違い、歌い方がより優しく少し大人しい感じ。
ライブツアーContinuesの真っ最中のラジオだし、ちょっとセーブしたのかな?
実際のライブに行ってないので分からないけど、ラジオでやったこのライブはまるで私だけのためにバンド引き連れて私だけのために歌ってくれてるかのような感覚になれる。
歌い方が優しいのでなおさら。
前回はコーラスがいなかったので、1人で歌ってたけども、今回はコーラスがいるので、音楽にさらに奥行きがでている。
たまにかける「にっぽーん」とか「チェリーせきぃ」「ぴーちせきぃ」のやる気のない感じ(褒めてる)が距離を縮めてくる。
「恋」「時よ」のアレンジもとても楽しそうで。
実際のライブに来れなかったって人のためにこんな特等席を準備してた。
座りますけども?なにか?
千秋楽
舞台の最終公演のことをいう。
普通は演劇でよく使われる言葉だ。
コンサートやライブなどで使われることはないように思う。
どっちかと言えば「最終日」?「ラストデー」?
星野源は自身のライブツアーの最終公演のことを「千秋楽」という。
それは本人が舞台をやっていたことが大きく関わっているように思う。
舞台をやるにあたって関わる人のいろんな役割、それぞれの役目。たくさんの人達の力をひとつの舞台に注ぐことによって作り上げる大変さ。
それを見て感じてそして舞台に立ち、演じる役者として紡ぐセリフ。
それに反応する観客。
それ全てを「舞台」とするならば、彼のライブはまさにそうなのかもしれない。
だから最終日は「千秋楽」
舞台のセットを組み上げる大道具
細かい演出をする小道具
タイミングをはかるタイムキーパー
音楽を演奏する生オケ
世界観の統一をはかる衣装
いろんな光と影を作り出す照明
そこでセリフを歌い上げる役者
そのセリフに対していろんな反応を返す観客
彼のライブはその舞台を支える全ての人に感謝を伝えて終わる。
それぞれの役割に大きいも小さいもなく、全てが重要で、どこがかけても成立しないことを知ってるからこその感謝。
そしてそれをお金を払って見に来る観客。
全てに。惜しみなく感謝を述べる。
その姿がとても清々しくて気持ちがいい。
また見たいと思わせる高揚感。
常に全員が全身全霊で挑むから。
何度も完成度の高い物を作れる。
すごい集中力。
その集中力をその舞台にたずさわる全員が共有している。
星野源が中心であって全員が中心。
これぞ生の舞台だ!と言わんばかり。
今年は…やってくれるだろうか。
体調
星野源は1度ならず、2度も病に倒れている。
くも膜下出血。そして再発。
生死をさまよい、そこから復活、生還している。
星野源を好きな人なら誰もが知る事実。
そして星野源を好きな人は誰しもが彼の体調を心配している。
テレビに映った時、ラジオの声、紙面を飾った時。
仕事のし過ぎなのでは。休んでほしい。
目が充血してる。目が潤んでる。
などなど。
確かにそう思うのもわかる。
好きだからこそ、これからもその姿を見ていたいから。
休める時には休んでもらいたい。
でもさ。
星野源ってお仕事好きじゃないですか。
好きなことをガッツリ仕事にされてるじゃないですか。
好きなことやってる時ってどんなに疲れてても楽しいからやっちゃうじゃないですか。
休めと言われて休む人じゃないですよね。
それこそギターもマリンバも宅録用の機材も台本やノートパソコン、スマホまでも取り上げないとダメじゃない?
好きなことを仕事にしてる人から好きなことを取り上げてしまうのは無理ではないでしょうか。
彼は彼なりのペースで休んだりしながら仕事を続けていくと思う。
休みだから何もやらないって日もあるだろう。
休みだから曲作ろ!って日もあるだろうし。
休みなのになんか名曲降臨したー!ってこともあるだろう。
それをちょっと詰め込みすぎだと感じるのは勝手だけど、本人がそう思ってないならそれでいいのではないだろうか。
本人が「あの頃はキツかったー」って言ってたとしても、今はそこを抜けて楽しくやってますと言うなら、そうなのよ。きっと。
極論なのかもしれないけど…
心配するのも自由。祈るのも願うのも自由だけども。
本人からしてみればありがたい事だけど…
大きなお世話!なのかもしれない。
たまたま目がウルウルしてたからと言って「疲れてるしんどそう」となるのは…
たまたま目が充血してるように見えるからと言って「休めてないのでは」となるのは…
彼もいい大人なんだ。
自分のことは自分で管理できるはずだし、出来ないならそれはそれで専門家がすぐ飛んでくるような環境にもある。
本人が言うように
「心配したって無駄ですからね」
その通りじゃないだろうか。
それでもやっぱり身体が資本だから。
無理はしないで貰いたいですね。
詰めすぎず、適度に抜いて、好きなことやって、楽しんだらいいよ。
手拍子
星野源の作る音楽はほんとに宝石箱のよう。
普通に聞く時、イヤホンで聴くとき、いろんな発見がある。
例えば手拍子。
さりげなく入ってるんだけど、すごく効果的に入っていて、気づいてしまうとその手拍子聴きたさにイヤホンを耳に埋めてしまう。
ドラムとは違うもうひとつのパーカッション。
指を鳴らすのも色んなところに散りばめてある。
そしてそれが音楽の遊びの深みを出している。
身体をも楽器として組み込んでしまう。
サウンドエフェクト的なものでなく、ちゃんと別で撮って。
散りばめる。
例えばコーラス。
ほぼ本人の声でコーラスが入っている。
これがまた耳障りがよくて心地よくてイヤホンを詰め込む。
メインがいつもの声ならコーラスはファルセットで。
メインがファルセットの時はいつもの声で。
曲に表情が付き、より彩豊かになる。
どの曲でもという訳でもない。
そこだけ?ということもある。
音楽を楽しむからこそのこだわり。
何度繰り返しても聴き飽きることがない。
ここにいないあなたへ
この曲を聞くと
いろんな「あなた」が浮かんでくる。
もう会えない「あなた」
元気にしてるのか気になるけどもう連絡も取れなくなってる「あなた」
雲の上に行ってしまった「あなた」
その「あなた」がこの世にいようといまいと
この曲に出てくる自分はここで「あなたを」思うけども、思い出を懐かしく思うけども
先を見て生きて行くんだと強く決意する。
映画ドラえもんのび太の宝島の挿入歌となるこの曲が
映画のどこでどう使われているのか、私は知らない。
「映画に寄り添った内容になっています」
星野源自身はこう言う。
ただ、映画を見ても見てなくても。
この曲は今を生きる私にも寄り添ってくれる。
詩を読んでも、歌ってみても、前を向ける。
タイムマシンで過去の自分にオファーしに行ったらしいが
その頃の星野源と今の星野源が混ざりあって
不思議な楽曲になっている。
その頃の星野源が思いつかなかったことが
今の星野源によって実現されている。
オンド・マルトノの不思議な音色が心地よい。
独りよがりなものづくりをしない。
自分も他人もみな主人公になれる曲。
その一瞬の出来事や、心で感じた一瞬を丁寧に言葉で紡ぎ出し、音に乗せ、一気にその曲の世界へと誘うのはさすがとしか言いようがない。
ここにいないあなたへ。
どうされてますか?元気ですか?
たまには…休んでますか?
無理はしないでね?
私も…前を向いて明日も生きます。
ご挨拶回り
正直なところ…
TSUTAYA渋谷店、HMV渋谷店、タワレコ渋谷店、タワレコ新宿店の位置関係が全く分からない。
近いのかそこそこ遠いのかすらわからない。
地方に住むものからすればそんなものだったりする。
星野源は毎回シングルなりアルバムなり発売日には店舗を巡ってお店のスタッフに挨拶して回るそうだ。
今や超売れっ子(表現よ…)なのに。
そこまでしなくても…と思ってしまったり。
ましてや外は雨風強い春の嵐真っ最中。
それでも行く。
ちゃんと出向いて、来た証拠を残していく。
頭が下がります。
すごいね。ほんとに。
どんなに有名になってもふんぞり返らない姿勢や、買ってくれた人、売ってくれる人に対して感謝を言えるからこんなにも愛される存在になったんだよね。
それを狙ってやってるわけではないし。
根が誠実。
楽曲からも、ラジオからも、テレビからもそれはちゃんと伝わってます。
あなたの音楽や言葉がどれだけの人の毎日を支えているかなんて考えなくていい。
私たちが寄り添っているだけなので。
あなたはあなたのやりたいことをやり続けてくれればいい。
あなたが心の底から楽しむ様子を見て私達も楽しいのだから。
ありがとう源さん。
これからも変わらず普通なあなたでいてください。
フラゲ日
明日はいよいよフラゲ日。
明後日が発売日。
どんな心境で…明日を(もう今日)を迎えるんだろう。
星野源はどんな思いでいるんだろう。
ここまでいろんなテレビ番組や雑誌、インターネットで取り上げられてて。
間違いなく今年一番の国民的1曲になるだろう。
大人から子供まで、星野源を好きな人も、そうでもないけどドラえもんが好きな人、いろんな人が待ち望んだ1日だ。
自分から進んで買う人、子供にせがまれて買う人、映画を見て「いい曲だったから」とサントラ感覚で買う人もいるんだろう。
買う=作品を作り上げた人達に直接「ありがとう」と言える唯一の方法。
受け取る側は不特定多数の買上者の一人一人の顔なんて見ることない。
販売枚数を見て「ありがとう」と不特定多数に向けて言うだけだ。
それでも、彼らの生活を支えているのは紛れもなく私であり、彼らの作品を購入する全ての人達だ。
星野源の作品には「買った人が損をしない」の思いが相当込められている。
新曲が4曲も入ってるだけで充分贅沢だ。
昔はシングル曲、カップリング曲、カラオケ2曲だったでしょ?
今ではアイドルの物には握手券がはいっていたり、演歌歌手であればいろんなバージョンのカラオケ曲が入ってる。
特典DVDまで付け、しかもオーディオコメンタリーまでぶっ込んでくる。
買うのが楽しみになってしまうじゃないか。
そしてそれを「買ってくれ」と堂々と言ってしまう。
いいと思う。正直で。
だって買ってもらえないとお金は入ってこないわけだし。次の作品の出来にも関わってくるわけだ。
日々を生活していくこと、素晴らしい作品を作り上げることに私たちは一躍買っているのだ。
ある意味共同作業ってことになる。
作品作りに携われるわけだ。
一人が何枚買ったって微々たるものだが、何千、何万もの人が複数枚買えば大きな数字となるかもしれないが…
そのうちの1人が私だ!と堂々と言おう。
私たち一人一人が星野源を支えているのだ。